<創   立>
 福井商工会議所の源流−福井商法会議所は、明治13年4月24日全国で12番目に設立されました。全国の商工会議所のなかで、明治11年の東京、大阪、神戸、明治12年の福岡、堺、長崎、大津、岡山、熊本、明治13年の高松、横浜といった都市に続き12番目と早い時期に設立されたことになります。それだけ当時の福井地区の商工業者の意気込みと産業活動の活発さがうかがわれます。


<組織の変遷>
 明治、大正、昭和と激動する社会、経済、国際情勢の中にあって、国家政策上組織の改変を余儀なくされ、幾多の変遷を経て今日に至っています。


1.商法会議所から商工会へ

 明治13年に設立された福井商法会議所は法的根拠を持たない民間団体で、入会、退会も自由で運営資金も会員の拠出金によってまかなわれていました。しかし、全国的に広がっていった商法会議所は、財政基盤が脆弱でほとんど活動しない会議所の例も少なくなかったようで、見直し論が表面化していました。
 一方、政府は明治14年に各省の商工業関係の事務を統合し農商務省を新たに設置。それにつながる諮問機関づくりを目的として、新たな組織づくりを意図しました。全国の会議所はこの構想に混乱をきたし、その収拾策として明治16年大政官布達が出され、商法会議所から商工会への編成替えをおこなったのです。福井商法会議所では、この布達に基づき明治19年12月に会議所を廃止し、福井商工会を設立しました。
 なお、明治20年代の一時期に、福井商工会議所と名乗った時期があったことが、「福井県商工年報」の記録から明らかとなっています。その理由を明確にする資料はありませんが、一つの推定として、商工会という小さなイメージに満足せず、商業、工業を網羅した会議所ということで商工会議所の名称を用いたのではないでしょうか。


2.法に基づく組織、福井商業会議所に

 明治23年9月、「商業会議所条例」が制定、公布され、法的な裏付けを持つ組織として会議所が発足することとなりました。
 この条例に基づき福井商業会議所が明治26年に発足しました。
 条例では、会議所は設立地を区域とし地域団体的性格を持ち、法人の性格が打出されています。条例が定める会議所の事務権限として行う事業は

▽ 商業の発達を図り、衰退を防ぐ方策の議定
▽ 商業に関する法律規則の制定、改正、廃止及び施行方法、その他商業上の利害に関する意見を官庁に報告すること
▽ 商業に関する事項につき官庁の諮問に応答すること
▽ 法規、命令もしくは官の委任により、その他の公設営業所仲立人組合及び商業に関する諸営造物を管理すること
▽ 仲立人の資格、員数及び手数料を審査すること
▽ 関係人の請求により、その他の商業に関する粉議を仲裁すること

が挙げられています。
 当時は、会議所の経費は会員の選挙権を持つ人(設立地の商業者で所得税を収める人)すべてに賦課し、経費を収めない者があれば、地方税の収入役に託して徴収出来、収めない者には過料に処すという厳しいものでした。


3.商業会議所法が制定

 明治35年3月に「商業会議所法」が公布、同年7月に施行され法的な組織として確立されます。同法に基づく事業は

▽ 商工業の発達を図るに必要なる方策を調査すること
▽ 商工業に関する法規の制定改廃、施行に関し意見を行政府に開申し、及び商工業の制度に関する意見を表示すること
▽ 商工業に関する事項に関し、行政府の諮問に応ずること
▽ 商工業の状況及び統計を調査すること
▽ 商工業の委嘱により商工業に関する事項を調査し、または商品の産地、価格等を証明すること
▽ 官庁の命により商工業に関する鑑定人または参考人を推薦すること
▽ 関係人の請求により商工業の粉議を仲裁すること
▽ 農商務大臣の許可を受け商工業に関する建造物を設立し、または管理しその他商工業の発達を図るに必要なる施設を為すこと

の8項目が挙げられています。特に経費滞納に際しては、「国税滞納処分の例によりこれを徴収することを得」とされており、日清戦争後の富国強兵、殖産振興の政策に沿って、会議所の組織充実や財政面の強化が図られたことが伺えます。


4.商工会議所に改組

 金融恐慌が深刻化するなか、昭和2年4月商業会議所に代わる「商工会議所法」が公布され翌3年1月に施行されます。
 この背景には、第1次大戦後、日本経済が急速に発展する一方で、中小企業の金融・労働・輸入超過問題などが深刻化し、その対応が求められたことがあります。また商業会議所の名称がややもすると商業中心の組織と見られがちであったため、商工会議所に改め名実ともに商工業全般を代表する総合経済団体への衣替えが図られたこともあるでしょう。
 福井商業会議所は昭和3年1月に福井商工会議所に組織を改組し、それまで任意団体であった全国組織も法人格をもった機関としての日本商工会議所となり、福井商工会議所は改組と同時に正式加盟しました。


5.戦時体制下、商工経済会に

 軍事体制下の政府は会議所の機構改革に着手し、昭和18年3月に「商工経済会法」が公布、同年6月に施行されます。商工経済会法はドイツの州会議所をモデルにしたといわれ、国策協力機関、統制経済の中の下部機関としての性格が強化されました。
 当時、全国 144を数えた商工会議所は都道府県単位の48に統合され、会員の資格を持つものは地方長官の指定するものとなり強制加入となりました。
 福井県商工経済会は昭和18年10月に発足し、本部は旧福井商工会議所に、旧敦賀商工会議所に支部が設置されました。


6.経済機構の民主化にともない 福井県商工会議所へ

 終戦にともない、戦前の特別法に基づく商工会議所でなく英米式の任意制の商工会議所が望ましいとの方針が示され、商工経済会法は廃止されました。これに代わって民主的な新しい商工会議所の設置基準が示され、昭和21年9月福井県商工経済会を解散、同10月に社団法人・福井県商工会議所が発足し、商業・工業・運輸・交通・理財・貿易の専門部会が設置されました。


7.福井県商工会議所から福井商工会議所へ

 戦後、社団法人あるいは任意組織の商工会議所が全国各地に設立されましたが、中には名称を悪用して不当行為を行うケースもあり、ある程度の法律により規制が望まれるようになりました。このため、名称を守り、社会的に重要な団体として組織や事業のルールを定めた特別法、「商工会議所法」が昭和25年5月に公布されたのです。
 新法では会議所の区域が市の区域と定められ、地域経済団体としての性格を持つことになりました。昭和25年10月福井県商工会議所が解消され福井商工会議所が発足しました。
 その後昭和28年に商工会議所法が改正され、翌29年に会員総会を開催、組織の変更を可決して今日に至っています。


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