福井豪雨が残していったもの  福井市 自営業 45歳

 「ただいま入った情報によると、足羽川右岸の幸橋下流全域13000世帯に避難勧告が出ました。繰り返します足羽川右岸の幸橋下流全域13000世帯に避難勧告が出ました。

テレビのニュースキャスターが必死に訴えていた。前日から降り続いた大雨で足羽川が大幅に上昇したのである。2004年7月18日、福井豪雨の昼時、私は自宅で昼食をとりながらお昼のニュースを眺めていた。

「なんか右岸の方に非難勧告が出たらしいよ。ちょっと屋上から眺めてくるわ。」

食事を終えた私はそういって自宅の屋上へと上がった。


私の住んでいるところは足羽川左岸の西木田地区でしかも幸橋上流に位置し、そのときはまだ他人事のように考えていた。

我が家はJR北陸線の線路沿いに位置するため屋上からの眺めは鉄道マニアが羨むようなロケーションであるが、先ほどニュースで言っていた幸橋下流の右岸地域までは3階建ての我が家からではもう少しが見えない。

「うーん、よく見えないけれど避難勧告地域っていったいどうなっているんだろう。あそこには友人もいるけれど大丈夫だろうか・・・。」

いろんなことを考えながら私は屋上から自宅近辺を一望していた。この時間帯には大雨は峠を越し、時折日が差し込む日曜日の昼下がりはむしろ心地よいほどの気分である。軽く伸びをしながら、ふと線路を挟んだ反対側に位置する春日地区に目をやると、信じられないような光景が目に映った。茶色に濁った水がどんどんと道路に流れているのである。「そんな、まさか・・・。こちら側に水があふれてきているの?」私は慌てて家族や近所の人に知らせに言った。

しかし、誰も半信半疑と言った面持ちで

「こっち側は避難勧告も出ていないし大したことはないんじゃないの。」

といいながら外を出て確かめてみる。確かに尋常ではない雰囲気が線路の向こう側から漂う。そんな中、消防車や緊急車両が続々集まってきて鐘を鳴らしながら何か叫んでいるのがおぼろげに聞こえてくる。

「かすが・・・ていぼう・・けっ・・・ました・・・ひなん・・ください。」

どうやら春日地区の堤防が決壊したと叫んでいるみたいだ。これはただ事ではない。慌てて自治会長が市役所に確認したところどうやら本当のことらしい。

「危ないから避難してください。水は直ぐにこちらにも来ますよ。危ないから逃げてください。」

やがて、若い役所の人らしき人がこちらにもやって来て大声で叫びだす。

そうこうしているうちに春日地区と木田四辻を結ぶ地下道から水がどんどん溢れ出し、みるみる間に道路一面を水浸しにする。ところが誰も何をどうしてよいのか良く分からずに、近所の人たちはただ呆然と立ち尽くすのみであった。

「どうなっているんだ。いまさらそんな事言われてもこの状況でどこに避難すればいいんだ」

中には怒り出す人も出てくる。

おそらく若い役所の人も初めての経験でどうしてよいのか分からないのだろう、「避難してください」の一点張りでそれ以上何も言わないから埒が明かない。

「とにかく外は危険だから家の中に避難しよう。」

と誰かが言う。

どうやらここは下手に動かずに家に入ってじっとしている方が賢明のようだ。そう思いながらまずは家に入って一階においてある大事なものを二階に上げる作業を行った。その間水はじわじわと玄関先に押し入ってくるのが見える。

「いったいどうなってしまうんだろう。」不安な気持ちを抑えつつ一階の物を二階に上げる作業を黙々と続ける。どこかで漏電したのかいつの間にか電気が消えていることに気がつく。真夏の事でクーラーが消えてしまうと汗が止まらない。あらかたの作業を終えたころ、携帯電話が引っ切り無しになり続け、何人もの友人や仕事関係者が心配で連絡をしてくる。おそらくニュースか何かで知ったのだろうが、電気が消えている私たちにはどういう状況なのか分からないから友人からの情報だけが頼りである。電話を掛けてきた人に聞くと電話自体が混雑していてなかなか繋がらない状況らしい。

気がつくと私たちは完全に家に閉じ込められてしまった。水は既に玄関を埋め尽くし、周囲の道路がすべて水路と化している。もうどうすることも出来ない。二階でじっと水が引くのを待つのみである。

何もすることがないので、私は再び屋上から周辺の様子を伺う。言葉を失ってしまった。地下道の手摺は真っ二つに折れて、その間を吸い込まれるようにどこかの家財道具が次々と流れこんでいく。数台の車は横になったりひっくり返ったりしている。腰まで水に浸かって必死で非難しようとしている人達が見える。レスキュー隊がボートで助けようとしている。上空にはおびただしい数のヘリコプターが飛び交っている。ヘリコプターから救助される人が目の前に見える。まるで映画のワンシーンを見ているようだ。いや、これは目の前で起きている現実なのだと思うと震えが止まらない。その時私は自分の勤務する会社の事も同時に心配になってくる。私の勤務する会社も自宅からそう離れていないので屋上から良く見える。絶望的な光景が目に入る。事務所棟は自宅よりも更に水に浸かってしまっている。工場も同様で機械類が沢山ある。「機械が全滅したらどうしよう。」にわかに現実的な不安が横切る。しかし、今はどうすることも出来ない。雲の合間から時折日が差し込める雨上がりのさわやかな天候とは対照的に、地上では滔々と泥水が流れている悲惨な姿が見えるのである。あせりと不安の入り混じる中ただじっと時が過ぎるのを待っていた。


 午後4時頃、少しずつ水が引き始めた。洪水のピークは過ぎたようだ。その頃には停電も解消され、やっとテレビのニュースで一連の状況が把握できた。ニュースで流れているのは普段私が何気なく目にしている見慣れた光景の変わり果てた姿であった。でも、いつまでもニュースを見ていられない。幸いにして水道は使えるようだからとにかく泥を被ったところを拭き始めた。今度は自宅の復旧作業に精を出す。


 午後6時頃、水は殆ど引いて何とか外に出られる状態になった。しかし、水は引いたものの堆積した泥は膝まであった。倉庫に片付けておいた長靴は水浸しで履くことが出来ない。仕方なくズボンを捲り上げて裸足で外に出る。泥の匂いが鼻につく。変わり果てた光景に成すすべが見つからない。

「とりあえず会社の状況を見てくる。」

そういって私は泥の中を歩き始めた。泥は想像以上に重く、ずぶっ、ずぶっと一歩踏み出すたびに足が取られ転びそうになる。歩くのも困難である。やっと会社にたどりついた私は現実の凄さに驚愕した。工場の敷地面積は約300坪あるが、その一面がすべて泥の海になっているのである。

「復旧するのにいったい何日かかるのだろう・・・。本当に元に戻るのだろうか・・・。」

呆然と立ち尽していると、突然携帯電話が鳴り響く。異業種交流会で御世話になっているTさんからだ。

Hさん。大丈夫ですか?ニュースで見ましたが大変な事になっているらしいですね。」

との問いに

「いや、大したことはありませんよ。何とかなると思いますよ。」

と、私は嘯いた。余計な心配をお掛けしたくないとの思いからである。

しかし、Tさんはそんな私の嘘を見破ってか、

「今日はもう暗くなるから、明日朝一番でそちらに伺いますけどよろしいですか。私は勝手に行くだけですからいいでしょう。決して邪魔はしませんから。」

と、詰め寄る。

私は言葉に詰まる。うれしいやら申し訳ないやら複雑な気持ちで、

「ありがとうございます。」

と、答えた。

家に帰り会社の惨状を説明する。しかし誰もが疲れた様子で目の前の復旧にしか興味がないといった様子だ。その後はただ黙々と作業を続け、夕食時には会話も少なくみんな放心状態で明日からのことを各々考えていた。いつしか全てを忘れてしまいたいかのように眠りについてしまった。


 7月19日、今日は海の日で国民的祭日だが、朝目がさめて再び昨日の惨劇が脳裏によぎる。

「あぁ、今日は長い一日になりそうだ。」そう思いながら自宅のことよりも会社の方が心配な私は、会社へと泥の中を歩いて向かう。私の重い気持ちとは裏腹に今日は昨日よりも更に快晴である。そのぽかぽか陽気のせいで昨日の事はもしかしたら夢で、意外となんともないのではと甘い期待を抱かせるがそんなことはあるはずがなかった。まず工場内の全ての電気がまったく入らない。工場なので配電盤のトランスが完全に水にやられたようだ。知り合いの電気工事会社に復旧を依頼したが、道が混雑しているためなかなかこちらへ来られないと言う。それまでの間にとにかくやれる事から始めようと、私はまず電動シャッターを手動に切り替えてシャッターを開き始めた。そのうちに社員が一人二人と駆けつけてきた。社員もなかなか車が入れないので途中で車を置いてここまで歩いて来たらしい。

「一週間や二週間では復旧できないかもしれないなぁ。」

私と社員はため息をつきながら身の回りの物からぼつぼつ整頓を始めた。

と、その時混雑する道の中から車を降りて誰かが歩いてくるのが見える。

Hさん、おはよう。無事で何よりでしたね。さぁ何からはじめましょう。」

そう明るく声をかけてくれたのは昨日電話をくれたTさんである。長靴を履いて手にはスコップを持ち準備万端といった格好だ。陣中見舞いに来てくれるだけかと思ったら、まさか作業していただけるとは思ってもいなかったのでちょっと驚いた。

「申し訳ありません。社員も少なくどうしようかと思っていたところでした。ここは甘えさせていただきます。ありがとうございます。」

「困っているときに遠慮は要りませんよ。後からKさんもHさんも来るから、さぁはじめましょう。」

Tさんは明るくそう言って泥をスコップで掻きだし始めてくれた。そのTさんの行動力の凄さに私も俄然勇気がわいて来た。考えていてもしょうがない。とにかくやるしかない。二人は黙々と作業を始めた。しばらくすると異業種交流会KさんとHさんが駆けつけてくれて、

何でもやるから言ってくれ。」と力強く言ってくれた。とにかく嬉しかった。私は元来、人にものを頼むのは苦手な方だがこの二人の勢いに「お願いします。まずはこの泥を何とかしたいのですが。」


と答えた。涙が出そうになった。しかし感傷に浸っている場合ではない。駆けつけてくれた人たちに報わなくてはと思い、ただひたすら作業を続けていると、いつの間にか異業種交流会の仲間が一人増え、また一人増えと総勢十数名に膨れ上がった。「みんな本当にありがとう。」言葉にはうまく出来なかったが感謝の気持ちでいっぱいだった。


 福井は雪国なので雪掻きはみんなお手の物だが、泥掻きとなると勝手がまるで違う。掻いても、掻いても押し戻ってくるので非常に厄介である。

「ちまちまやっていても仕方ないから、コンパネを使ってみんなで押そうや。」

そう言ったのはHだった。

この作戦は大成功だった。建築用の木のパネルを横にして、みんなで一斉に押しやると一気に泥が掻きだされるのである。その後の作業は急ビッチではかどり始めた。

昼前にようやく電気が復旧した。その頃になると仕事関係者や友人も駆けつけてくれて、普段は6人しかいない閑散とした工場に、数十人がひしめき合って泥だらけになりながら復旧作業に手を貸してくれた。

昼食時にはおにぎりやお茶の差し入れもあった。大変な作業に一言の不満もなく談笑しながら昼食を取っている異業種交流会の仲間たちをみて、行動力の中にある人の優しさと力強さをひしひしと感じさせられた。

いやな顔ひとつせず、中には歌を歌いながら作業をしてくれている異業種交流会のメンバーをみていると重い気持ちが嘘のように晴れやかになり、「よし、この人たちに報いるようがんばるぞ。」という気持ちにさせられました。

その後もいろんな人の支援のおかげで工場は一週間後には完全復旧いたしました。初動の速さで弊社はおそらく近辺のどの企業よりも復旧は早かった。これもひとえに異業種交流会の仲間たちのおかげといっても決して過言ではないと感じました。

今回の災害を通じて私は水の力と人の力の両方の力強さを体験いたしました。元来、水というものは人に恩恵を与えるものであるにもかかわらず、時と場合によっては人に大災害を及ぼすものであることを知りました。水道の蛇口をひねればいつもそこにあるものだから、もしかしたら私はこの水というものの存在を少し軽んじていたのかも知れません。当たり前のように扱っていた水の事をもっと知るべきだったのかも知れません。同時に私は人の存在の大きさも学ばせていただきました。献身的な異業種交流会の皆様やボランティアの皆様の行動力に力を与えて頂いたことも然りですが、普段希薄になりつつあった近所の人達との絆が深くなった事も大きな成果でした。水から受けた災害で、自らを見直すチャンスを与えて頂いたと考えれば、この災害で失うものも多かったのですが、与えられたものはもっと多かったような気がしました。


 最後にこの災害で犠牲になられた人のご冥福をお祈りするとともに、支援して頂いた全ての皆様に感謝申し上げます。

こころあたたまるストーリー