ある男の桜にかけた情熱

毎年春になると足羽河原をはじめ、さくら通り、足羽山公園など福井市内の桜が順に咲ほころび、市民の目を楽しまています。実はその植樹・育成に大きく貢献した人物がいたことを知っていましたか?


足羽川桜並木の手入れをする岩堀氏桜並木の植樹は1952年に開かれた福井復興博覧会(現:福井市観光協会)の発足を記念し、福井商工会議所と同協会が行いました。

この時、協会の初代事務局長で植樹を発案し、陣頭指揮をとったのが岩堀氏で当時50歳。報じられているこの事業をなんとか成功させたいとの意志が強かったようです。

市民からは1本300円、87万4,100円という当時では多額の寄付金が寄せられ岩堀氏は春と秋の年2回、自ら下肥やりを受け持ち、若木の時には桶を担いで1本1本にかけたそうです。

また、足羽山のぼんぼり取り付けや広告集めなども奔走し、職場の同僚からは「サクラ男」と呼ばれるほど。

桜をこよなく愛し、桜の枝の下でごみを燃やしていた男の人を「桜が枯れるからやめろ」と叱り飛ばしたこともあったようです。

また、台風の上陸でかなりの桜が折損。倒壊し率先して補植や増植に取り組みました。

61年以降は河川法で堤防への植樹は禁止とされていましたが、県には報告せずに補植を強行したこともあり、岩堀氏は「もし国や県からとがめられたら『いや戦前にあった桜の芽が今頃吹き出したんだ』と言い訳するしかない」と豪快に笑い飛ばしていたそうです。

岩堀氏に退職で、桜並木の管理は市に移り、それでも毎日のように堤防や足羽山に通い桜の面倒を見続けました。

岩堀氏は1985年82歳で亡くなりましたが、桜が満開になるころになると、岩堀氏のご長男宅には「桜を見るとお父さんのことを思い出す」という電話がかかることがあるそうです。


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