| 福井の彫刻(木彫)職人を大別すると仏師と神社仏閣の装飾を主とする彫刻師の、建築に分かれる。安土・桃山時代を経て江戸時代に入ると文化が次第に庶民の間に浸透し、これらの職人は一部の富福な農家、町家にも重要視されるようになった。家屋の外には門を置き、内には欄間、床の間などを設け豪華な仏壇を設置するようになり、仏壇彫刻も専門化するようになってきた。しかし、これも昭和の始め頃までがピークであり、戦争が起こることによって職人たちは、軍需工場に徴用されるなど一時は皆無の状況まで激減した。戦後職人の数は増加してきたものの、建築様式の変化、他の先進県、中国工芸品に押されるなど再び減少の傾向をたどり、現在、福井に残る木彫職人も後継者の不足などから伸び悩みの状況が続いている。福井の職人たちの流れは三国彫刻、京都井波などの系統に分かれるものの、いずれもその源流は奈良、京都、飛騨のものである。 |